2008年12月16日

キネティックアート

「ガボ,デュシャンはなぜ動く彫刻をやめたのか」ついて,考える.

※一般的には,動きによる形態が一様しか見ることができなかったからとされる.

さて,今日は,無理矢理異なる方向からせめてみるとする.

それは,「この二人は,触れることを重要だと考えたか?」
日本ではあまり見ることはないが,彫刻は触れて鑑賞するものだ.それは,視覚だけではなく,触覚を用いた鑑賞である.

と,言うことは,動く彫刻である二人の作品の鑑賞も触れることは多少なりとも,考えなくてはならない.キネティック・アートにおいては動きこそが,表現の対象である.ならば,動いていなくてはならない.動くまでは,ただの装置であると一般的には解釈されている.
では,二つの作品を素材をもとに考えてみる.

ナウム・ガボ「運動による構成」(1920):金属の棒
マルセル・デュシャン「回転ガラス板」(1920):ポリメタクリル酸メチル(PMMA)
PMMAはプレキシグラスという名前で商品化された樹脂である.一般的にはアクリルガラス,独特のにおいを発することから匂いガラスとも呼ばれる.ちなみに,一般的なアクリル樹脂はアクリル酸エステル/メタクリル酸エステルである.

...どちらも固い素材であり,触れることは危険である.
そして,これらは高速回転をしている.
これら,回転体などを用いた形態を『虚のボリューム』という.言葉通り,中身がない,偽りの形なのである.物質は,数ミリ秒の間だけ存在し,次の瞬間には別の空間を占める.彫刻として,虚のボリュームでは全体を触れることはできない.しかも,危ない.

これは,素材の限界がある.
また,機構の問題もある.

キネティック・アートにおける触れるという行為は,鑑賞の為ではない.それは,後のインタラクティブ・アートにもあるように,作品との対話性を持つことが可能となった.電気テクノロジー時代にはセンサがあったか(これは調べないとな)?作品の状態変化はクランク機構やピストン機構などのように動きを直接的に変換すること,間に計算機を組み入れ,間接的に接続することの二通りがある.後者は,リレーが登場する60年代以降だな.つまり,電気テクノロジー時代は,その技術自体が限界であったといえるのである.
posted by yoshimasa.k at 03:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 研究
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/24387211
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック